2007年2月7日水曜日

通信NO.002:ヌーベル肥後屋本店の建物の由来

 現在の肥後屋の本店は紀元2560年(西暦1900年明治33年に初代本村万太郎の次男、本村斎次(のち木村姓となる)によって建てられたものです。
 彼は幕末に僅か15歳という若さでフランスに渡り、帰国後1885年の第一回ハワイ官製移民の監督官として再び海外生活に入りました。
 この4年後1889年から始まった浄土真宗本願寺派のハワイ宣布活動曜日(かがひ)蒼龍師が來布した時からその後來布する今村恵猛(えみょう)師に至るまで、自身も真宗の門徒の家の生まれであった事もあって布教場の開設などに尽力して抜群の功績を残したと言われています。彼はまたその後ハワイの日本人人口が半分にも達する礎になる日本人社会の発展に大きく貢献し、その後1918年その偉業を讃えて知友によりモイリリ日本人墓地に「木村斎次君之碑」が建立されて「万霊塔」や「明治元年移民のハワイ渡航百年」の石塔などとともに現存しています。彼は現在東京青山の墓地に眠っています。
<参考資料> http://www.payer.de/neobuddhismus/neobud0402.htm
モイリリ日本人墓地: kimura(motomura) saiji
http://www.obehawaii.com/documents/OnlyByEmbracingOctober2006.doc

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